皆さんおはようございます。漢仁です。
先日、日頃より仲良くして頂いてる方から「人として大切なこと」を伺いました。
素晴らしいお話だと思いましたのでシェアしたいと思います。
人と接する、あるいはおもてなしをするお仕事を「接客業」と言いますが、その方は以前、銀座にある高級クラブで「ママ」として働いていらした方で、まさに接客業の代名詞のようなお仕事の最前線でご活躍をされていました。
「接客を通じて色んなお客様を見て来られたと思うのですが、やっぱり長年経験されてると人の器の大きさのようなものが分かるようになったりするんですか?」
その私の質問に対して「器の大きさよりもこの人これから大きくなるだろうなぁというのは分かるようになります」と答えて下さいました。
そのお店には、名前を聞けばみんな知ってる有名な企業の社長や、芸能人、政治家、作家、ありとあらゆる分野の著名な方々が来店されてましたが、お酒の席なので表向きと言うか普段の世間の評判とは違う部分も随分沢山見て来られたようです。
飲む時には、とことん楽しんで飲む。これは結構大事なポイントだそうです。
楽しまないといけない時に楽しめない人はやはり何をするのにも人の顔色を窺ったり、やるべきことが一呼吸遅く後手に回ったり、大切な場面で空気が読めないことをしたりするそうです。
状況に応じたメリハリやバランスが大切なんだと思います。
その中で、前述した「この人これから大きくなるだろうなぁ」と思う人の特徴とは?
皆さんは何だと思います?
それは・・・
昨夜のことなんか全然覚えてないと言いながら、周りの人に「昨夜は有難うございました。ちゃんと帰れましたか?」とか、「私何か失礼なことしませんでしたか?」とか、お礼の電話や挨拶を終わった後にちゃんとしてくる人だそうです。
普通だろ!と思った人、正解です。
普通のことを当たり前にちゃんと出来る人は例外なくこれから伸びる人だそうです。
中には「酔った時のことは無礼講!」と言う人もいますが、そこはやはり「親しき中にも礼儀あり」が優先されるようで、自分だけが気持ちいい思いをするのではなく、一緒に呑んだ人たちが「また一緒に呑みたい」と思ってくれるような心配りが大切だそうです。
私が思ったのは、当たり前のことは出来て当たり前。
だけど出来なかったら人として恥ずかしいことって世の中に沢山あるなぁってこと。
元気に笑顔で挨拶する、建物に入る時は上着を脱ぐ、部屋では帽子をかぶらない、靴を脱いだら綺麗に並べて揃える、人に助けて貰ったらお礼を言う、などなど・・・
生活の中には当たり前が溢れています。
平凡で単純なことをちゃんとやる、そしてそれをやり続けることを「凡事徹底」といいますよね。
その言葉は有名なのでご存知の方も多いと思いますが、平凡で単純なことと分かっていてもなかなかそれを継続してやるのが難しいというのも周知の事実です。
他にもう1つ「鄙事多能」(ひじたのう)という言葉、これは元は孔子の言葉で「鄙事(ひじ)に多能」という一節を、慶應義塾を作った福沢諭吉先生が多用したことで知られている有名な言葉です。
つまらないことを上手に出来るようになるという意味ですが、言い換えれば、これはどんな些細なことでもおろそかにしないでちゃんと出来る能力のことを言います。
「鄙事」という言葉があまり使われなくなって、ほぼ同義の語として「些事多能」(さじたのう)という言葉が最近ではよく使われていると思います。
参考書籍
さらに、一緒にビジネスをしたり、あるいはプライベートで今後仲良くしていく上で、当たり前のことだけど意外に多くの方が出来ていないことを教えて下さいましたのでご紹介したいと思います。
これが出来ていないと、ダメな人として「失格」の烙印を押されてしまうこともあるそうです。
何だかわかりますか?
それは「報告する」ということです。
言わなくても分かることが意外と言わなければ伝わらないことだったりします。
例えば、Aさんに「お友達を紹介して下さい」と言われて、知人のBさんを紹介したとします。
紹介した後、報告が何もないと・・・
- AさんはBさんに連絡を入れたのか?
- AさんはBさんと会ったのか?
- どういうやり取りをしたのか?
- その結果どうなったのか?
そういった点が全く分かりません。
でも、こちらから聞くまで何にも言わないAさん。
報告をしてくれないと、その紹介したBさんにも「Aさんとどうなった?」とこちらから尋ねなければなりません。
紹介した方がヤキモキしてしまいます。
もし万一、AさんとBさんの間にトラブルなどがあった場合、紹介した人間がそれを知らないことで「なんて人を紹介してくれたんだ!」「無責任に人を紹介して!」「そんな基本的なことも出来ない人を紹介したのか!」と言われることにもなりかねません。
近頃は、特殊な能力や誰も出来ないオリジナルの能力がもてはやされる時代ですが、私は「当たり前」と言われることや、平凡で単純なことがちゃんと当たり前に出来る人でありたいと常に願っています。
私もそう志しながらも、道半ばですが・・・
そうやって常に努力し続けることが「身を修める」ということではないかと思っています。
もちろん皆さんは当たり前のことを疎かになんてしてませんよね。
最後まで読んで頂きありがとうございました。感謝。
漢仁